
一般的に、人間は視覚優位の生き物ということになっており、実際ほとんどの場面でそうだということは間違いないとは思います。
でもいつもそうだとは限らず、例えばあるエッセイで卓球選手が、高速の卓球の球は見ることよりも音を聞く方が、球の位置や状態の把握には優位性があると聞いたことがある と書かれていました。
更に、脳への信号の伝達は、視覚より聴覚の方が速いとも書かれていたのですが、そこは違っていて、情報処理速度は視覚は聴覚に比べて2桁分ぐらい早く、嗅覚や味覚はさらに2~3桁分ぐらい遅いことがわかっています。
ただ、文字を読むのと音読で音声で聞くのとでは、場合によっては、音読のナレーションの相性が良い場合、記憶に残るのは、音読の方かもしれません。
それについては、このエッセイにも書かれていて、透き通ったトーンの声は、客観的な立場からの内容伝達に向いている。難しい表現ですが、アナウンサーや通訳 などでしょうか。
また尺八に息を吹き込んだ時のような、濁った感じの音は、相手の心に近づいた印象を与える。
と書かれています。
内容を強調して伝えたいときは、声を大きくするよりも、声質の変化の方が効果的だそうです。
一方聴覚障害の患者さんも外来に来られますが、手話通訳の専門家がついて来られることもありますが、大体は私の汚い字で紙に書いて伝えることが多かったのですが、最近はスマホに録音できるので、大きなひらがなで私の言ったことが書き出されるのをみて、スムーズに会話できることもあります。
研修医が終わり、専攻医になって外来デビューの時、患者さんと話すときには大声でしゃべっていはいけない と教えられました。
医師として患者さんの病状を公にしていいのは、個人の名が明らかにされない学会発表の時と院内カンファレンスの時だけで、関係のない他人まして込み合う外来であっては、病状についてはなるべく無意味に大きな声で話すべきではない と教えられました。
ただし長寿者が多くなり、患者さん自身とのコミュニケーションのために大きな声で話さざるを得ないこともありますが、ただ大声であればいいというわけでは無いことも知っておかなくてはならないと思います。