私が今所属しているカトリック教会は、修道会が母体となる教会です。
カトリックというのは普遍的という意味で、プロテスタント教会のように、派閥があるわけではありません。
ですからカトリックの場合、世界中どこの教会に行っても、大きな教義やミサの流れといったものは、共通です。
派閥というのは、政治関係で話題沸騰中ですが、プロテスタントの教会 例えば中高部に通っていた学校は、プロテスタントの学校でしたが組合派 隣に地続きに歩いて行ける有名な中高大とあるプロテスタントの学校は、 長老派 とお聞きしましたが、そういう意味ではプロテスタント教会は、むしろその違いを大切にしているようです。
信者にとっては、はっきり言ってどうでもいいことですが、歴史的にはかなり大切なことのようです。
ただカトリック教会にも、大きく分けて2種類の運営母体があり、私の所属しているような修道院が人事権を持っている教会、地域に密着している教区(といいましてもかなり広範囲ですが)の中で神父様方は移動する 教区教会 があります。
どんどん信者数が減っていますから、この度大阪教区というのが、四国全体を統括する高松教区と合体しましたので、大阪・高松教区というかなり広大な地域を網羅することになります。
信者はどこの教会に所属しても自由ですが、普通は自宅からのアクセスがいいところに所属しますから、教区であろうと修道会であろうと通ってみて、初めてその違いを知るという人も多いですし、教会に現れない信者の方が多いとお聞きしますので、カトリックにおいてもその違いを気にしていないというのが一般的です。
教会では、普通ご復活祭が何より大切ですから、人事異動はその前後が殆どです。
今回は我が教会でも異動があり、体力の限界を迎えたということで、ご自分で異動を願い出たとお聞きしました。
とても残念な気分です。
主任神父様ではありませんが、高齢の神父様がいると何となく良い雰囲気だと勝手に思っていましたが、やはり疲れてしまわれていたのですね。
お別れの言葉を読みましたが、どこかの修道院のチャプレンでもと思っていたら、今の教会よりももっと大きな有名な東京の教会で神父様を続けるように命じられたとのこと。
東京のその教会はとても神父様は多く、こういっては失礼ですが、高齢な神父様や割と有名な神父様だらけで、ある意味俗っぽいという印象は拭えませんが、高齢の神父様もまだまだゆっくりできないのだなと、私達俗人同様、生き方を模索しながら日々を過ごしておられることに、共感と尊敬とある意味ではお辛いであろう心情を痛ましく思ってしまいました。