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白内障・網膜硝子体・緑内障・涙道・斜視の日帰り手術専門クリニック
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毒麦のたとえ | 伊丹市の眼科|宮の前眼科|白内障手術・硝子体手術・斜視手術

毒麦のたとえ

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2022/03/31担当:山本 洋子
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大方の方は読まれたことは無いと思いますが、新約聖書の中にこの有名で含蓄のあるお話が載っています。

 

要約しますと、畑にある人が良い種を播いたはずなのに、芽が出て成長するにつれ毒麦も混ざってしまっていることに使用人たちが気付き、領主にこう進言します。

 

良い種を播いたはずなのに、敵の仕業で毒麦も混ざってしまっているのであれば、早速毒麦を抜いてしまいましょうか と。

 

そうすると領主はこう言います。

 

毒麦を抜くときに、良い麦まで抜いてしまうかもしれないので、刈り入れの時まで両方を育て、その時にまず毒麦を集め焼くために束にし、良い麦は集めて倉にしまいなさい。

 

マタイの福音書というところに書かれているのですが、このマタイという人は税金を集めるいわば公務員のような人で農業を知らない人だということがわかると聞いたことがあります。

 

なぜなら、毒麦というのは、普通の麦より成長して結実したときには、背が低くまず良い麦を収穫してから毒麦を抜くのが順番だそうで、聖書というのはこういった間違ったことも残っている人間的な書物ということになりますが、それはまあどちらでも良いこと。

 

このお話の解釈は、植物と違って人間というのはたとえ毒麦的な部分があったとしても後々良い麦に変わる場合があり、特に子供を育てる場では長い目でゆっくり見てやる必要が有る と聞いたことがあります。

 

何といっても私を含め、2人の子供は中高部はキリスト教系の学校で過ごしたので、卒業式などで聞いたのかもしれません。

 

これは子供だけに限らず、大人であっても、また世の中で起きる事柄においても、通じる部分もあるように思います。

 

一見悪いことのように見えることでも悪いと決めつけず、少し時間をかけてみていくことも必要だと思います。

 

人を矯めるという高みからではなく、ただ静観して物事の推移を見てみるというのは、忍耐も必要ですが、即決即断で失敗することもあるのですから。