今日から待降節が始まります。
待降節というのは、クリスマスをお祝いする準備の時でもあり、楽しみに待つ時でもあるのですが、待つことにうんざりしている人も多い昨今。
待つのが楽しみなのは、その先にきっとよいことが起こるという期待があるときだけに限られているということは、実感できます。
待降節の間は、私達カトリック信者は、例によって楽しみを制限する時でもあるのですが、最近の若い信者さんは、そういうこととは無縁かもしれません。
でも私はそういうちょっとストイックな時間も、気に入っているのです。
空腹が何よりの調味料 ということわざがあるように、精神的にも我慢の後の喜びは大きいというのは、本当です。
お陰様で、うちの子供たちは、親の強権発動の成果で、我慢強くついでに質素な人間に育ちました。
コロナがつらいのは、いつまで待てばいいのかがわからないからだと思いますが、考えてみれば、そういうものは意外と多いことに気付きます。
人との交わりが大切 と子供の時から学校の先生は教育されますし、教会も信者の交わりが大切 とよく話をされます。
でもよく考えれば、本当は、人間は一人では生きていけないことを知りつつ、群れなくても自己完結できるすべを持っていることが何よりの強みではないかと思います。
承認欲求や他人との相対評価とは全く対極の生き方が、必要なんだと思います。