間もなく梅雨だというのに、今は風が心地よい爽やかな朝です。
何となく目のことを話すより、もっと人間的なお話をしたい気分です。
そういえば、昨日は久しぶりに患者さん以外の方が、他の用事で来院されました。
最近は便利になってきて、ズームやGoogleミートなどで事務用は片づけることができるので、人と会う必要も減ってきて、私自身便利でいいなと喜んでいました。
でも無駄に見えることが意外と大事ということにも気付きました。
教会のごミサもいよいよ始まりましたが、三密を避けるため、地域振り分け制で、色々規制もあり、参加できる日も決められています。
この時期仕方がないと思いつつ、いつが行っていい日かを調べる手間を惜しんで、もうこのところ出席していません。
こういったことは、自然発生的に行きたいという気持ちで参加するので、何となく決められた日だから行くという気分ではありません。
だからいつでもいいよといわれる時期がきたら、行こうと思います。
歳をとるということは、こういう自由が増えることでもあり、有難いと思います。
最低限国が決めた決まりは、もちろん守りますが、心の中まで支配されたくないというのが、本音です。
今日は姉の誕生日。
お祝いメールに早速返信をもらいました。
元公務員夫婦は、年金を先送りするそうで、余裕綽々で私たち民間人とは違ってコロナの悪影響もなく、今後とも余裕の老後生活をエンジョイする予定のようです。
でも民間人にはない不自由もあったのでしょうから、基本本音と建て前を使い分けなくても良い自由な心を許される時を、生涯過ごせるというのは、有難いなとしみじみ思います。