白内障手術といえば、必ず人工水晶体を入れるということが当たり前になって久しいのですが、先日人工水晶体は入れてほしくないという方がおられました。
コンタクトレンズも入れたことがないのに、目の中に異物を入れたくないという考えのようです。
人工水晶体というものが保険適応になる前を知っている私としては、昔を懐かしく思い出します。
今でこそ人工水晶体は保険適応で、しかも、年々手術手技に対しての保険報酬が低下していく様を見ていますと、かつては、今よりだいぶ性能の劣る人工水晶体に対して、高額な自己負担をして下さった患者さんがいたからこそ、こんなにも発展した白内障手術を当たり前のように多くの人が受けられるようになったと今更ながら、進取の気取りのあった先達に、感謝の気持ちが湧いてきます。
人工水晶体を入れることが当たり前の現在、レンズを入れることに異議を唱える方がおられるのは想定外です。
入れなければどうなるかということを、解きほぐして最初から根気強く説明します。
入れることに同意が得られたら、いよいよどこが一番見えたいか、といったお話が始められます。
その方の考えでは、「まなこというのは、遠くを見るためにあるのだ」
これももっともなことです。人間といえど動物であることを思うと、本来遠くを見ることが目の働きなのかもしれません。
どこを見るかで、患者さんが悩むことが多い中、人工水晶体を入れることに同意を得られた後は、とても明快なポリシーのもとあっという間に納得がいき解決しました。
そして、手術が終わった今とても満足してもらえて、うれしいことです。
ただ昨今のウイルス騒動を見ていると、目に見えないウイルスに、世界中の経済も生活もかき乱され、見えることの限界を思い知らされます。
でも心の目は、例え視力が悪くても或いは悪いからこそ、叡智を深めることで開くことができるようにも思います。
こういう時こそ、動揺せず落ち着いて暮らしたいですね。