数年前左目が白内障ということで、家の近くの病院に3日間入院し、手術を受けました。
術後の診察で黄斑上膜という聞きなれない病名を告げられました。「ここではその手術はできない」といわれ、それだけでなんだか厄介な目の病気にかかったなと不安になりました。
やっと白内障の手術が終わったばかりというのにまた手術? 頭をなぐられたようなショックで帰り、早速、「黄斑上膜」をパソコンで検索。失明する病気でないことにちょっと安堵いたしました。そして日帰り手術が行われている病院のHPを読み、「まさか?大丈夫かしら?遠すぎる?」といろいろな疑問が出てきました。
お問い合わせのメールアドレス宛に、気軽な気持ちで「すでに白内障用のレンズが入っていて、それが邪魔になり手術はさらに難しくなるのでは?」とか、ばかげた幾つかの疑問を投げかけてみました。
すると鄭先生から直ぐに丁寧な返信メールが返ってきたではありませんか。返事は、2,3日はかかるだろう、当たり前の返事しか返ってこないだろうと私は思っていただけに、鄭先生の人柄がにじみ出ている文面を目にしたとき、自宅からは遠いけれど、一度先生に診ていただき、それからどうするかを決めようという気持ちに私はならせていただきました。
数日後、地図をみながら病院へたどり着きました。そこには大勢の患者さんが診察にきておられました。
人間は寿命が延びた分、今までになかった目の病気が発見され、それにともなって医学も進歩してきたことに感心しながら、待ち時間があっという間に過ぎ、自分の名前が呼ばれました。いよいよ私の番。いろいろ検査を受け、鄭先生に初めてお会いいたしました。
何度かそれまでメールでやりとりをしていましたので、すでに先生は私の目の状態を把握されていて、先生の説明を受けた私は迷うことなく手術の日程を決めました。
手術当日は手術衣に着替えることもなく、耳もとでは心地よい音楽が流れているというリラックスした状態で手術は開始。
私は心の中で早く手術が終わり、しかも成功しますようにと祈っていました。
45分間で無事終わり、また電車に乗って2時間かけて帰りました。「眼の中に空気を入れたので寝るときはうつぶせでお休みください」という先生の言いつけをきちんと守り、その夜はうつぶせで過ごしました。
次の日、再び病院へ。白内障の手術のときは、眼帯をはずすと、目の前の物がすぐにきれいに見えたので今回もわくわくする気持ちでした。しかし眼帯をはずすと左目は何も見えないのです。視力が出ないのです。
失明している人はこういう闇の状態なのかと思いました。手術は失敗?私の目は失明?
日帰り手術なんか受けるのではなかった?悪いことばかりが次から次と脳裏をかすめます。
家に帰って、肩を落としている私を見て、主人が聞いてきました。目が見えないことを伝えると、「鄭先生にメールしたら」と言われ、早速不安な旨を先生に伝えました。
鄭先生からは、「返事が遅くなったことと、空気を入れると数日はあまり見えなくなる、という説明がたりなかったことへのお詫び、大丈夫であること」という分かりやすい返事をいただき、日付を見ると、夜中の2時過ぎに発信したものでした。
その日もきっと、先生は地元の病院でたくさんの手術をなさり、大変お疲れでお帰りになったであろうに、お返事いただけたことに、私の心は、ルンルン気分になりました。3日目で赤目も普通に戻りました。
手術から1週間後、再び検査のため病院へ行きました。そして視力は1.0まで回復していました。その日は4歳の男子の孫をボディガードとして連れていきました。遠いと思った距離も孫と電車の中で話しながら行くとあっという間で、ミニ旅行しているような楽しい道中でした。
手術から3年経った現在、パソコンや趣味の洋裁をしながら生活を楽しんでいます。
さらに加齢と共に鄭先生のお世話になることが増えるかもしれません。
鄭先生これからもよろしくお願いいたします。