祭日の朝は、静か。
一日の時間経過は同じはずなのに、早朝の時はなぜかとても神聖で貴重で、過ぎていく速さもゆっくりな気がします。
若い時期にこの時間の存在を知ると、早起きは癖になると思うのですが、体内時計は生来のものなのか、自分に適した時間は人それぞれのようで、上の子は宵っ張り 下の子は早起き。
そして早起きの下の子も、特に朝の時は神聖とも思っていない様子です。
ところでその時を、今朝の私は何をして過ごしていたか?
いつものルーティンワークは行うとして、今朝の楽しみは、デジタルの時刻表と首っ引きになって、来年の鉄道旅のプランを練っていました。
極力、特急や新幹線を利用して、短時間で遠くまで行きたいのですが、昼間は2~3時間列車が来ない駅というのは、決して珍しくありません。
その時間に、徒歩で行ける範囲で、散歩したり、食品を買ったりできる、程よい賑わいのあるショッピングゾーンがあればいいのですが、そういう地方は、得てして車社会ですから、町の中心は駅から離れていることが多いのです。
のんびり歩いていて、貴重な一本を逃してしまうと、もう目も当てられません。
こうやって、地方から若者が都会に流出してしまうのかもしれません。
場合によっては、老人も車が運転できなければ、住み続けるのは難しいかもしれません。
町に住む私たちが、暢気に列車旅などしているのは、地元の人にとっては、有難迷惑かもしれませんが、そうはいっても鉄道に乗る人もなく、ついに廃線ということになると、やはりますます不便になるでしょう。
ですから、地元の産物を買ったり、食べたりして、僅かでも貢献したいと思うのですが、その機会を得るのも難しいのが現状です。