鄭 守 先生
先生は僕の恩人で神様のようです。一時は失明するのではないかと不安で一杯で夜も眠れない日々が続きました。
有名A病院で4月に脳梗塞で入院中、左目がクシャクシャし、どうも違和感がある。ゴミが入っているような感じがする、と訴えたのですが初めはろくな検査もせずに、「目薬をさしてしばらく様子を見ましよう」。だが2-3日経っても改善がないので、精密検査をしてもらいました。「眼底出血をしているのでレーザー治療をします。薬については脳梗塞でバイアスピリンを服用しているので眼底出血を抑える薬を処方できないのでこのまま暫らく様子をみるしかないです。2週間後に来て下さい」。退院後もその後3回A病院の眼科にかかったのですが眼底出血 が止まらずレーザー治療を繰り返し、いつも言うことは「脳梗塞でバイアスピリンを飲んでいるので薬が効かない。次回は暫らく研修の為不在になるので別の医者で1ヶ月後に来て下さい」。
9月初めに、朝目が覚めたら突然視力が悪化し異常を感じたので、以前白内障の手術をしてくれたB眼科に飛び込み、レーザー治療を集中的にやり、「後は様子を見ましょう、やるだけのことはやった」。しかし、その後も 一向に良くならず日々悪化していくので インターネットで調べC大学病院の眼科が良いということで行き、診てもらったら結果、「派手に出血しているね。まあ、レーザーも打っているようだし、これ以上打っても出血しているので効かない。しばらく様子を見るしかないですね」。
『また暫らく様子を見る』 この言葉を聞くたびにがっかりする自分をどうすることも出来ずがっかりしました。硝子体手術について話を聞いても「執刀するのは別の医者なのでよくわからない」、という始末。通常どこの病院でも手術後2週間入院し、ずっとうつ伏せで過ごすようです。家内がインターネットで一日中調べていると、D大学病院の眼科が優秀であることが分かり、但し、初診者は取らないと書いてある。厚労省のトップから特別頼んでもらい一番有名なE教授のアポイントを取ってもらった。どこでもやる検査を行い、長時間待たされた挙句、診察を受けたが、「そんなに医者を替えてどうする。A病院眼科も優秀だし どうしても診て欲しいならAからデータと紹介状を貰って来なさい」。今さらAに頭を下げて、D大学に行きますからデータと紹介状を書いて下さいなんて言える訳ない。途方に暮れて、またB眼科に相談したら絶対F医大がいい、紹介状書くから、大きなとこが安心できると言い、直ぐにアポイントを取ってくれました。10日後のアポイントでした。その頃左目はほとんど見えない状況でした。
家内が毎日インターネットで調べてくれていました。そして最後に辿りついたのが 鄭先生 だったのです。経歴を読む内興味を覚えました。京都、洛星高校出身、慶応大学医学部、京都府立医大眼科、ハーバード大学医学部。私も京都出身,洛星高校は当時京都で断トツのNO.1。 京都府立医大は私の兄が中学生の頃、目の大手術を受け大変お世話になった病院。そしてハーバード大学は私も行っていた大学。数々の共通点があり、すぐにメールを送りました。すぐに親切な返事が帰ってきました。「宜しければ来週の火曜日に来ませんか」。先生は毎週火曜日に診察日があります。そして月曜日に手術をされています。診察当日、手際よくありとあらゆる検査を次から次へとやって頂き、診察を受けました。先生は無駄口を一切言わないタイプで、真摯に誠実に向き合う立派な医者でした。私の惨状を見て、「来週手術をしましょう」。先生の特別な配慮で緊急に手術を受けることになりました。手術当日、10数人の最後でした。無理にその日に最後に押し込んで下さったのでしょう。約1時間の手術でした。意識は普通にあり、機械が英語をしゃべっているのがはっきり聞こえました。痛くも痒くもなく、不思議な気がしました。普通2週間入院せねばならないのに、その日のうちに帰ってもよい、なんと奇跡的だなと思いました。翌日と1週間後に診察に行きました。術後経過は順調でした。視力検査の結果は0.3でした。2週間後 0.8、3週間後 1.2に改善していたのには本当に驚きました。
これは奇跡が起こったとしか考えられません。先生は正にゴッドハンド、神の手をお持ちだなと実感しました。A病院以来、数々の有名な大病院は何だったんだろう。この半年間の苦痛と苦労は何だったんだろう。鄭先生にお目にかかって僅か1週間で全て解決。半年たった今も視力も1.2と変わらず、お陰で順調です。有難うございます。いつも感謝致しております。こんな訳で 先生 は僕の恩人 神様 です。